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       題しらず 読人知らず  
 
   梅が枝に  きゐるうぐひす  春かけて  鳴けども今だ  雪は降りつつ
          
     
  • きゐる ・・・ 来て居る
  • 春かけて ・・・ 春に思いをかけて
  
梅の枝に来ているウグイスは春を思って鳴くけれど、まだ雪は降り続いている、という意味の歌で、それならばまだ冬ではないか、と言いたいところだが、春告鳥であるウグイスが 「来て+居て+鳴いている」ことで、この歌は春の歌とされている。

  "春かけて" は、407番のの小野篁の歌の「八十島かけて」と似た感じもするが、やはりここでは 「心にかけて/思いをかけて」ということであろう。この 「かく」という言葉が使われている歌の一覧については 483番の歌のページを参照。

  古今和歌集の配列で言えば、1番2番の 「春たちける日(=立春の日)」が 4番の 「雪の内に 
春はきにけり」を目指し、同じ4番の「うぐひすの こほれる涙」からこの5番の歌を経由して、次の素性法師の歌に至ることで暦上の春とウグイスが 「春を表わすもの」として合流する。

 
6   
   春たてば   花とや見らむ  白雪の  かかれる枝に  うぐひすの鳴く  
     
        降る雪の中でまだきれいに鳴くことができないウグイスの声に、時が早くて満たされない願望、つまり春で象徴される 「若さ」が表わされていると見ることもできるだろう。

 
( 2001/08/22 )   
(改 2004/01/22 )   
 
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