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暦の春が早すぎるのか、花が遅れているのか、それを判断しようにも、基準としたいウグイスの声さえ聞こえない、という歌である。藤原言直(ことなお)は生没年および仔細不明。古今和歌集にはこの一首のみが採られている。
この歌では、まず、暦では春になっているけれど、実感としての春は来ていないという状態がある。歌の上での"春"は暦の春を指し、"花"は実感としての春に結びついている。この二つに同期がとれていないので、さて、どちらがずれているのか、という判断の基準として、第三の要素であるウグイスを持ち出している。 「春告鳥」と言われるウグイスの声を一番信用がおける春の基準とするなら、
- ウグイスの声:有 ・・・ 春やとき:× 花やおそき:○
- ウグイスの声:無 ・・・ 春やとき:○ 花やおそき:×
ということになり、それが "鳴かずもあるかな" ということならば、 "春やとき" が正解となるはずである。しかし、ウグイスの声も 「あれば基準の資格を持つが、なければ基準になりえない」ものであれば、その声の不在をもって "春やとき" と判断することはできない。
よってこの歌は、言葉の上では 6番や 15番の歌と同じく 「春−花−鶯」という春のセットを持ちながら、「暦の春がきているだけで実感できることは何もない」という春の不在をテーマにしたものとなっている。
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