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春霞はどうして桜を隠すのか、散る間さえも見たいものを、という歌。
ここでは、歌の作者を紀貫之としてあるが、それは古今和歌集の「名前が記されていない歌は前の歌の作者と同じ」という慣例にならったもので、「古今和歌集全評釈(上)」 (1998 片桐洋一 講談社 ISBN4-06-205979-7) によれば、清原深養父と明記してある伝本も多く、この歌も「貫之集」にはなく「深養父集」にあるということである。
確かに言われてみれば、貫之の 58番の「立ち隠すらむ 山の桜を」という歌や、69番の読人知らずの「春霞 たなびく山の 桜花」という歌を見ると、貫之としては、この歌を採っても自分の見せ場がないような感じである。 「春霞」を詠った歌の一覧は 210番の歌のページを参照。
ただ、散りかける桜をベールで覆うというイメージは、続く 80番の「たれこめて 春のゆくへも 知らぬ間に」という藤原因香の歌につながるようになっているので、貫之のものであれ、深養父のものであれ、古今和歌集の配列から言えば、存在理由がないわけではない。
「だにも」は 「だに+も」で、「せめて〜だけでも」というニュアンスを表す連語であり、次のような歌で使われている。 「だに」が使われているすべての歌の一覧は 48番の歌のページを参照。
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