Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻二

       山のさくらを見てよめる 紀貫之  
79   
   春霞  何隠すらむ  桜花  散る間をだにも  見るべきものを
          
        春霞はどうして桜を隠すのか、散る間さえも見たいものを、という歌。

  ここでは、歌の作者を紀貫之としてあるが、それは古今和歌集の「名前が記されていない歌は前の歌の作者と同じ」という慣例にならったもので、
「古今和歌集全評釈(上)」 (1998 片桐洋一  講談社 ISBN4-06-205979-7) によれば、清原深養父と明記してある伝本も多く、この歌も「貫之集」にはなく「深養父集」にあるということである。

  確かに言われてみれば、貫之の 58番の「立ち隠すらむ  山の桜を」という歌や、69番の読人知らずの「春霞  たなびく山の  桜花」という歌を見ると、貫之としては、この歌を採っても自分の見せ場がないような感じである。 「春霞」を詠った歌の一覧は 210番の歌のページを参照。

  ただ、散りかける桜をベールで覆うというイメージは、続く 80番の「たれこめて 春のゆくへも 知らぬ間に」という藤原因香の歌につながるようになっているので、貫之のものであれ、深養父のものであれ、古今和歌集の配列から言えば、存在理由がないわけではない。

  「だにも」は 「だに+も」で、「せめて〜だけでも」というニュアンスを表す連語であり、次のような歌で使われている。 「だに」が使われているすべての歌の一覧は 48番の歌のページを参照。

 
     
10番    うぐひすだにも  鳴かずもあるかな  藤原言直
61番    春くははれる  年だにも  伊勢
79番    散る間をだにも  見るべきものを  紀貫之
134番    春を思はぬ  時だにも  凡河内躬恒
449番    うつつにだにも  あかぬ心を  清原深養父
1064番    身は捨てつ  心をだにも はふらさじ  藤原興風


 
( 2001/11/19 )   
(改 2004/02/26 )   
 
前歌    戻る    次歌