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詞書は前の歌から続きで、源実(みなもとのさね)が筑紫へ湯浴みに行くのを人々が送っている場面である。詞書は「さあもうここで帰りなさい」と実(さね)が言った時に詠んだ歌ということ。
ここまで慕う気持ち一心でついてきたので、帰れといわれてもどこを通ってきたのか道もわかりません、という歌である。 "したはれて" とは兼茂(かねもち)が実(さね)に 「慕われて」いるわけではなく、兼茂が実を 「慕って」という自発の表現である。 「きにし/みにし」という語感がよく、意味的には 「心」と 「身」を対としている。
藤原兼茂(ふじわらのかねもち)は生年不詳で没年は 923年。 917年従四位下、923年参議。弟に堤中納言と言われた藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)がいる。賀歌の中で 357番から始まる四季の屏風絵で四十の賀を祝われている藤原定国、およびその弟で三条右大臣と呼ばれた藤原定方は、いとこにあたる。これら四人の古今和歌集での歌の数をまとめてみると次のようになる。
- 藤原兼茂 ・・・ 二首
- 藤原兼輔 ・・・ 四首
- 藤原定国 ・・・ なし
- 藤原定方 ・・・ 一首
兼茂のもう一つの歌もこの歌と同じく離別歌の中に含まれている。どちらも特にこれといった特徴はないが、即興性を感じさせるシンプルで臭みのない詠いぶりであるといえよう。
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