|
|
|
小野滋蔭(しげかげ)は生年不詳、896年没。888年従五位下。古今和歌集に採られているのはこの一首のみである。
「やまタチハナれ」という部分に 「橘(たちばな)」が詠みこまれている歌であるが、物名の歌としては面白味が少ない。歌の意味は、山を発ち離れて行く雲のように、確かな宿などないこの世であることだ、ということ。
668番の友則に「山橘の 色にいでぬべし」という歌があり、この滋蔭の歌も前に 山があるのに 「山橘」(=ヤブコウジ)の物名としないところが微妙である。 「たちばな」という題で集まって歌を作った場を想像すると、「これはタチバナではなくてヤマタチバナだからダメ」と言いそうな人がいそうな感じがする。
これについて上田秋成は、賀茂真淵「古今和歌集打聴」の細書(=注)で 「此題は山たち花と有しを後に山の字を写もらせしが今は伝へしなるべし歌にはしかよみて猶次々もをかだまの木山がきの木などついでならべたるにてしかおもはるゝ也」と推測している。ただし、伝本の中に詞書を 「山たちばな」としているものはなく、「山たちばな」であっても物名としての面白味が増すわけでもないので 「たちばな」のままでよいだろう。
なお、「世にこそありけれ」と結んでいる歌には次のようなものがある。 「名にこそありけれ」と結んでいる歌については 382番の歌のページを参照。
|
|