あひ知れりける人の越の国にまかりて、年へて京にまうできて、またかへりける時によめる | 凡河内躬恒 | |||
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「かへる山」というのは一体、何の存在価値があるのだ、結局来ても留まらずに帰る山という名前であったのか、という歌。詞書によれば、都にいた人が越の国に行って、数年後都に帰ってきて、またそこに戻る時に詠んだものということである。 効果という意味の "かひ" を 「峡(かひ:=山と山との間の狭い所)」に掛けて 山の縁語として使う手法は、同じ躬恒の 1067番の「山のかひある 今日にやはあらぬ」という歌などに見られる。この 「かへる山」の歌でも、隠し味としてそれが使われているようである。また、 "なにぞはありて あるかひは" という言葉のうねり方が、"きてもとまらぬ 名にこそありけれ" という言葉とうまくからみ合って面白い響きとなっている。 また、古今和歌集の中で 「名にこそありけれ」と結んでいる歌には次のようなものがある。 |
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似たようなもので 「世にこそありけれ」と結んでいる歌については 430番の歌のページを参照。 |
( 2001/11/27 ) (改 2004/01/22 ) |
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