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そちらに行くまでは、吉野の山の桜のように、人の噂にのみ聞いて思いをよせています、という歌。 473番の在原元方の「音羽山 音に聞きつつ あふ坂の」という歌に感じが似ているが、この歌の "越えぬ間は" ということは、「古今和歌集全評釈(中)」 (1998 片桐洋一 講談社 ISBN4-06-205980-0) で述べられている通り、「山城(今の京都府)と大和の国境を越えない間は」と見ておくのが妥当だろう。ただし、そこで同時に述べられている 「「越えぬ間」という言い方は、「女とのある一線を越えぬ間は」という意を含んでいる」という解釈は少し露骨すぎるような気もする。
本居宣長が「古今和歌集遠鏡」の中でこれを 「ソチノ大和ノ国ヘマダコエテイカヌウチハ」と訳し、「初句は。あはぬまはといふ意にいへるにはあらず。」と言っているのは、そのあたりのニュアンスのことを指しているのだと思われる。
人の噂だけで聞いている、ということに、あなたはこちらでもその美しさが噂になっていますよ、というお世辞が含まれている。また、桜に寄せて 「見れどもあかぬ 君にもあるかな」と詠う恋歌四の友則の歌は、並べて見ると、この貫之の歌の後日談のようにも見えて面白い。
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