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       題しらず 在原元方  
473   
   音羽山  音に聞きつつ  あふ坂の  関のこなたに  年をふるかな
          
     
  • こなた ・・・ こちら側
  「音に聞く」というのは「噂に聞く」ということで、その「音」を "音羽山" から導き、「逢う」を "あふ坂の関" に掛けている。 "あふ坂の関" のこちら側にいるということは、まだ逢えずにいるということで、歌の意味は、
噂に聞きつづけて逢えない状態のまま、年月が過ぎてゆくことだ、ということ。

  "あふ坂の関" は、山城と近江の間の逢坂山にあった関所で、 "音羽山" はその南にある。いずれも京から見て東方、琵琶湖の南部である。 "あふ坂の関" を越えると近江であることと、369番の紀利貞の「今日別れ 明日はあふみと 思へども」という歌を合わせて、その "こなた" にいるということは、まだ 「逢う身」でないとする解釈も、
「古今和歌集全評釈  補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) などに見られる。 「あふ坂」を詠った歌の一覧は 374番の歌のページを参照。

  「音羽」を音(おと)に合わせたものとしては、次の恋歌三の読人知らずの歌や、1003番の忠岑の長歌の「音羽の滝の 音に聞く」などがある。 「音に聞く」という表現を使った歌の一覧は 470番の歌のページを参照。

 
664   
   山しなの  音羽の山の    音にだに   人の知るべく  我が恋めかも
     
        「音(おと)に聞く」はこのように 「噂として聞く」ということだが、同じ 「音」でも 「音(ね)に泣く(鳴く)」といえば 「声を上げて泣く(鳴く)」ということである。 "あふ坂" と 「音(ね)」の組み合わせを使った歌としては次の読人知らずの歌がある。

 
536   
   あふ坂の   ゆふつけ鳥も  我がごとく  人や恋しき  音のみ鳴くらむ  
     
        「こなた」という言葉を使った歌の一覧は 379番の歌のページを参照。また、「経(ふ)」という言葉が使われている歌の一覧は 596番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/18 )   
(改 2004/02/25 )   
 
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