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       題しらず 読人知らず  
887   
   いにしへの  野中の清水  ぬるけれど  もとの心を  知る人ぞくむ
          
     
  • いにしへ ・・・ 昔 (往にし方)
  
かつての野中の清水は今ではぬるくなってしまったけれど、元の心を知る人は汲むものである、という歌。 "野中" が特定の地名を指すのか、単に 「野の中」を指すのかは不明。この歌では 「野中」がどこかというよりも「いにしへの清水」と 「清水」であったことの方に重点が置かれている。現代から見るとまるで古今和歌集そのものを詠っているような歌である。

  古今和歌集の配列で言えば、この歌は一つ前の 886番の歌から「小野のもとかしは」の歌から 
「もとの心」という言葉を引き継ぎ、一つ後の 889番の歌に 「いにしへの」という言葉を渡しているかたちになっている。 「もとの心」という言葉を使った歌の一覧は、651番の歌のページを参照。

  また、この歌は 「老い」についての歌か 「昔の恋」についての歌か微妙なところだが、「いにしへ」という言葉を使って明示的に恋歌とされているいるものとしては、恋歌四に次の貫之の歌がある。

 
734   
   いにしへに   なほ立ち返る  心かな  恋しきことに  もの忘れせで
     
        「清水」を詠った歌の一覧については 537番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/06 )   
(改 2004/03/10 )   
 
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