Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻十七

       業平の朝臣の母のみこ、長岡にすみ侍りける時に、業平宮づかへすとて、時々もえまかりとぶらはず侍りければ、しはすばかりに母のみこのもとより、とみの事とてふみをもてまうできたり、あけて見ればことばはなくてありけるうた 業平朝臣母  
900   
   老いぬれば  さらぬ別れも  ありと言へば  いよいよ見まく  ほしき君かな
          
     
  • さらぬ ・・・ 避けられない
  • 見まく ・・・ 見ること
  在原業平の母は桓武天皇の第七皇女の伊登内親王(いとないしんのう)。生年は不明、没年は 
861年で業平はこの時、三十七歳で従五位下。詞書の意味は、「業平の母が長岡に住んでいる時に、業平が宮仕えをしていて時々にも顔を出さないので、ある年の十二月のころ、母から急な用事ということで文が来た。開けてみると中身はなくてこの歌が入っていた」ということ。

  "さらぬ別れ" は死別のことを指すが、「死別」と言ってしまっては味気ないような気がする。歌の意味は、
もう年老いたので避けられない別れもこようかと思うと、ますます顔を見たくなります、ということで、この歌には次の業平の返しがついている。

 
901   
   世の中に  さらぬ別れの   なくもがな  千代もとなげく  人の子のため
     
        また、母の歌としては次のような小野千古母(おののちふるがはは)の離別歌もある。

 
368   
   たらちねの    親のまもりと   あひそふる  心ばかりは  せきなとどめそ
     
        「〜と言へば」という表現を使った歌の一覧は 635番の歌のページを、「見まくほし」という表現を使った歌の一覧については 620番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/14 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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