業平の朝臣の母のみこ、長岡にすみ侍りける時に、業平宮づかへすとて、時々もえまかりとぶらはず侍りければ、しはすばかりに母のみこのもとより、とみの事とてふみをもてまうできたり、あけて見ればことばはなくてありけるうた | 業平朝臣母 | |||
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861年で業平はこの時、三十七歳で従五位下。詞書の意味は、「業平の母が長岡に住んでいる時に、業平が宮仕えをしていて時々にも顔を出さないので、ある年の十二月のころ、母から急な用事ということで文が来た。開けてみると中身はなくてこの歌が入っていた」ということ。 "さらぬ別れ" は死別のことを指すが、「死別」と言ってしまっては味気ないような気がする。歌の意味は、もう年老いたので避けられない別れもこようかと思うと、ますます顔を見たくなります、ということで、この歌には次の業平の返しがついている。 |
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また、母の歌としては次のような小野千古母(おののちふるがはは)の離別歌もある。 |
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「〜と言へば」という表現を使った歌の一覧は 635番の歌のページを、「見まくほし」という表現を使った歌の一覧については 620番の歌のページを参照。 |
( 2001/11/14 ) (改 2004/03/09 ) |
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