寛平の御時きさいの宮の歌合せのうた | 紀貫之 | |||
116 |
|
若菜摘みは早春、散花は晩春、と時期がずれているので、前半は 「かつて若菜を摘みに来たことのある場所なのに」と解釈するのが一般的である。確かに貫之には 2番の「むすびし水の こほれるを」のような歌があるので、そういう感じもしないではないが、春の野に栗拾いに来たというならともかく、この歌ではそこまで厳密に分ける必要はないと思われる。 春の野に若菜を摘もうとやって来たが、進んでゆくうちにどこからともなく花が散ってきて、それがだんだん増えてゆき、最後には道もわからなくなってしまった、という幻想の歌として見たい。 "若菜つまむ" という動機で足を踏み入れた春の野の迷路の中で、花吹雪に取り巻かれて、ああこのまま目的を達することができずに春が終わってしまう、と呆然と立ち尽くす人、という感じか。 |
( 2001/11/19 ) (改 2003/10/21 ) |
前歌 戻る 次歌 |