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"恋せらるはた" は、サ変の動詞「恋す」の未然形+自発の助動詞「らる」+「はた」である。 「はた」は副詞で、「また/やはり/とはいうものの」などの意味がある。 「はたまた」(=もしくは)という言葉の 「はた」である。ここでは無益とわかっているけれど、それでもやっぱり、というニュアンスか。この歌では 「はた」を最後に置くことにより、歌が柔らかい抜け方をしている。素性が女性の立場に立って詠ったもののようにも思える。古今和歌集の中の歌で同じように 「はた」が最後にくる歌はない。
歌の意味は、ホトトギスの今年はじめての声を聞けば、何となく、誰にというわけではないが、恋しい気持ちが湧き上がる、ということ。 「何となく〜と思う」という歌には「何故」という疑問は投げづらい。全体の雰囲気で味わうしかないだろう。同じホトトギスの声を聞いて人が恋しくなるということを詠った 162番に貫之の「郭公 人まつ山に 鳴くなれば」という歌と比較してみるとわかりやすいかもしれない。そこでは "人まつ山に" という駄洒落を挟むことによって、理屈の落ちどころ・足がかりを作っている。この素性の歌をオタマジャクシとすると、貫之の歌はそこに足を生やして見ましたという感じか。
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