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       山にほととぎすの鳴きけるを聞きてよめる 紀貫之  
162   
   郭公  人まつ山に  鳴くなれば  我うちつけに  恋ひまさりけり
          
     
  • うちつけに ・・・ 急に
  歌の意味は、
ホトトギスが松山に鳴くのを聞くと、ふいに胸騒ぎがして人恋しさが増すことだ、ということ。 "人まつ山" の 「まつ」には 「松−待つ」が掛けられており、その前に 「人」がついているので、「我も人待時なくなれば」(賀茂真淵「古今和歌集打聴」)、「人ガ来モセウガト待テ居ル此ノ松山ニ」(本居宣長「古今和歌集遠鏡」)と、自分が人を待っている松山で、という見方もある。確かにそう解釈すると、単に待っている状態から、ホトトギスの声によって急に恋しさがつのる(「恋ひまさる」)という状況が理解しやすくなる。

  また、この 「まつ山」が、次の 「みちのくのうた」で詠われている 「末の松山」のような具体的な地名なのかどうかは不明である。逆に 「松」をはずして 「待つ」だけを見るということもできなくはないが、 "鳴くなれば" という続き方からすると駄洒落が入っていると見るのが自然だろう。

 
1093   
   君をおきて  あだし心を  我がもたば  末の松山   浪も越えなむ
     
        さらにこの歌は、849番の「今朝鳴く声に おどろけば」という哀傷歌にもつながるものがあり、内容は単純だが言葉の張り方には充実したものが感じられる。

  「うちつけに」という言葉が使われている他の歌については 12番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/27 )   
(改 2004/01/21 )   
 
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