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       題しらず 読人知らず  
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   声はして  涙は見えぬ  郭公  我が衣手の  ひつをからなむ
          
     
  • 衣手 ・・・ 袖
  • ひつ ・・・ ぐっしょり濡れている状態 (漬つ)
  
声はするけれども、涙を見せないホトトギスは、私の袖が濡れているのを借りにきて欲しいものです、という歌。自分の涙から逆算しての前半だが、「声はすれども姿は見えず」というところを "涙は見えぬ" としたところにこの歌の焦点があるのだろう。また "ひつをからなむ" という言葉の感じからは、「声はするけれど涙を流さない」ホトトギスを引き合いに出して、「涙は流すけれど泣き声は上げない」自分の苦しさを訴えているように見える。

  「ホトトギス−涙」というと 「ウグイス−涙」を扱った 4番の二条后(=藤原高子)の「こほれる涙 今やとくらむ」という歌が思い出される。並べて見ると、この歌はそつなくまとまっているものの、底が浅く、やや品がないようにも感じられる。夏歌にあるので 「衣手が濡れているのは雨のせい」としてしまえば、「雪−ウグイス−涙」に対して 「雨−ホトトギス−涙」となるが、歌の中に 「雨」という言葉が出てこないのでそれはなかなか難しいだろう。

 
( 2001/11/01 )   
(改 2004/03/11 )   
 
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