Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻六

       うたたてまつれと仰せられし時によみてたてまつれる 紀貫之  
342   
   ゆく年の  惜しくもあるかな  ます鏡  見る影さへに  くれぬと思へば
          
     
  • ます鏡 ・・・ よく澄んできれいな鏡(真澄鏡)
  
年末にあたって、往く年が惜しいと思います、鏡の中の自分の姿さえ暮れてゆく気がするからです、という歌。

 "くれぬ" は、年が暮れるの 「暮る」であるが、「暮る」には 「暗くなる」という意味がある。鏡に映る自分の影 「さへ」暗くなるというのは、年老いてゆく、ということを表していると思われる。三句目に突然 "ます鏡" と出てきて驚くが、こうした核になる言葉を一つ放り込んで、それに添って歌をしめくくるというのも一つの手法であろう。

  貫之の鏡の歌としては 460番に「かみやがは」を入れた物名の 「鏡のかげに 降れる白雪」というものがあり、老いを詠ったものには 899番に読人知らずの 「年へぬる身は 老いやしぬると」という「鏡山」の歌がある。また、次の伊勢の歌も 「年をへて−曇る」ということを詠っていて、この歌での「鏡」の扱いと似ている点も感じられる。

 
44   
   年をへて  花の鏡と   なる水は  散りかかるをや  曇る と言ふらむ
     
        「さへに」という言葉を使った歌の一覧は 280番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/20 )   
(改 2004/02/17 )   
 
前歌    戻る    次歌