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       わらび 真静法師  
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   煙たち  もゆとも見えぬ  草の葉を  誰かわらびと  名づけそめけむ
          
        「蕨」と 「藁火」、「萌ゆ」と 「燃ゆ」を掛けて、煙が立って燃えているようにも見えないこの草を誰が 「わらび」と初めに名づけたのか、という歌。

  この歌は、物名の部の植物シリーズの中にあって「たれか
ワラビと」の部分に題の 「わらび」が置かれているが、これはむしろ秋歌下 249番の文屋康秀の「むべ山風を 嵐と言ふらむ」のような名詞の由来を、掛詞を使って言った言葉遊びの歌である。歌の内容自体でネタばらしをしているので、普通の物名の歌とは異なる 「隠されていない隠し題」であるとも言える。

  「蕨−萌ゆ」ということでは万葉集・巻八1418に次のような有名な志貴皇子の歌がある。

    (いは)走る 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも

  また、この歌とは直接関係はないが、和漢朗詠集に採られている小野篁の春の詩には次のようなフレーズがあり印象的である(紫塵とは早蕨の繊毛を指す)。

    紫塵(しぢん)の嫩(わか)き蕨は人手(ひとて)を拳(にぎ)る

  こうした蕨のイメージに対して 「藁の火」というギャップのある言葉の中に 「蕨」を隠そうとしたところに古今和歌集の撰者たちは面白みを感じたのかもしれない。

  音ということで言えば、この歌の "そめけむ" は、三つ前の高向利春(たかむこのとしはる)の 「さがりごけ」の歌の 「染めける」と微かな響き合いを持って置かれている。

 
450   
   花の色は  ただひとさかり  濃けれども  返す返すぞ  露は 染めける  
     

( 2001/08/17 )   
(改 2003/12/13 )   
 
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