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この歌の元を「衣裏繋珠の譬え」とする考え方は、「古今和歌集全評釈 補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) で見ると、十五世紀の古注である宗祇 「古今和歌集両度聞書」や飛鳥井栄雅「古今栄雅抄」に該当する記述がある。
そもそもの法華経の五百弟子受記品第八の話の概略は次のようなものである。
お釈迦様がある弟子に向かって「あなたは説法に優れているので将来、法明如来という仏になる」と言う。それを聞いた 1200人の修行者たちは、感銘を受けながらも、自分もそうなれれば素敵なのに、という顔をしている。それを察したお釈迦様は別の弟子に 「この修行者たちに順に無上の教え(阿耨多羅三藐三菩提)を授けよう。その内 500人は 6万2千億の仏を供養した後に、仏となるのだ。名前は全員同じで、普明如来。あまねく無上の大光明を放つという意味である。」と言った。 それを聞いた 500人の修行者たちは歓喜し、自分たちがいかに低いレベルの修行の結果で満足していたかを悟って、今の心境をお釈迦様にこう告げた。
「たとえばある人が、旅立ちの挨拶のために親友の家に出かけ、そこで酒をご馳走になっていい気分で寝てしまいました。用事で外出しなければならなくなった親友は、贈り物として、その人の衣の裏に落ちないように高価な宝玉を繋いであげましたが、何も知らずに目覚めた人は、そのまま他の国へ行き、何とか生活ができるようになるまでに、様々な苦労を経験しました。そんなある日、偶然親友と再会する機会があり、実は衣の裏の玉を換金すれば、今までの苦労で得た以上の生活が簡単に手に入ったことを知ったのでした。高価な宝玉を常に身にまといながら、その存在を知らなかったその人は、まさに今までの私たちと同じです。」 と。 |
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