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あの人のことを思い続けて見た夢だから、あの人の姿が見えたのだろうか、夢だと知っていれば目覚めずにいたものを、という歌。
夢の中ではそれが夢とも知らず、それこそ 「夢中」で相手と逢っていたという雰囲気が、後半の "夢と知りせば 覚めざらましを" によく表われている。そこには単純な 「悔しさ」や 「空しさ」とは少し違った余韻がある。覚めなければ夢は夢でなくなるという感じか。
"夢と知りせば 覚めざらましを" というフレーズが印象的だが、よく見ると "覚めざらましを" という言葉には自分の意志が見えている。それが前半の 「相手が思ってくれたからではなく、自分から見た夢だから」ということにつながり、そこから 「所詮は自分一人の思い込みだけれど」という気持ちを経由して、でもだからこそ 「独り身である現実に戻りたくなかった」と再び "覚めざらましを" に揺り返してくる「しなやかさ・弾力性」がこの歌の味であろう。
「〜ざらまし」という言葉を使った歌の一覧は 465番の歌のページを、「〜ましを」という言葉を使った歌の一覧は 236番の歌のページを参照。次の躬恒の歌は、この小町の歌の前半を切り取って引き伸ばしたもののように見える。
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