題しらず | 読人知らず | |||
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恋歌四の恋の充実を詠う歌群の中にも 682番の読人知らずの「かくこそは見め あかずもあるかな」という歌や、 684番の友則の「見れどもあかぬ 君にもあるかな」という歌と雰囲気が似ているが、契沖が「古今余材抄」で 「下の句の心後朝によみて贈れる歌にてこゝに入たるなるへし」と述べているように、恋歌三というこの歌の位置を考えに入れると、前夜のことを思い出しての歌という感じであろう。 「あかず」という言葉を使った歌の一覧は 157番の歌のページを参照。 「あひ見る」ということを詠った歌の一覧については 97番の歌のページを参照。 なお、本居宣長は「古今和歌集遠鏡」で、この歌について、「三の句のには。のゝあやまりにて。上句はあかずの序なるべし。萬葉に例多し。」と書いている。 「に」が 「の」の誤りかどうか、また三句目までが序詞かどうかは別として、「萬葉に例多し」というのは次のような歌を指していると思われる。 [巻四495] 朝日影 にほへる山に 照る月の 飽かざる君を 山越しに置きて [巻十二3207] あらたまの 年の緒長く 照る月の 飽かざる君や 明日別れなむ [巻二十4312] 秋草に 置く白露の 飽かずのみ 相見るものを 月をし待たむ ちなみに「古今和歌集全評釈(中)」 (1998 片桐洋一 講談社 ISBN4-06-205980-0) で見る限り、この 「天の門」の歌が 「月影の」となっている伝本はないようである。 |
( 2001/11/29 ) (改 2004/03/09 ) |
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