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       題しらず 読人知らず  
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   ありそ海の  浜の真砂と  たのめしは  忘るることの  数にぞありける
          
     
  • 真砂 ・・・ 砂の歌語
  
荒磯海の浜の真砂のように多いと期待させたのは、忘れることの量だったのですね、という歌。 
「ありそ海の浜の真砂」とは、仮名序の中で 「たとへ歌」の例として上げられている次の歌を前提としたものである。

    わが恋は  よむともつきじ  荒磯海の  浜の真砂は  よみ尽くすとも

  そこでは 「恋しさ」の数量の多さを言っているものであり、安直に考えれば、恋のはじめの段階で相手がその歌をつけてきたという状況が考えられる。

  「荒磯海」は地名とも一般名とも判断しずらい。後世では 「ありそうみ」は「有磯海」と書いて富山湾の沿岸を指すとされている。ちなみに上記の「よむともつきじ」という歌には 1085番の 「かへしもののうた」に「君が代は かぎりもあらじ 長浜の」というバージョンもがある。それらで使われている 
「読む(よむ)」とは一つ一つを目で追ってゆくという意味で、そこから 「数」につながっている。恋歌四にある 713番の読人知らずの「たがまことをか 我はたのまむ」という歌と並べてみると、この歌の "真砂" には「真」(まこと)というニュアンスもあるような感じする。

  "たのめし" は下二段活用の「頼む」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形。下二段活用の 「頼む」は 「あてにさせる」ということである。 「たのむ」という言葉を使った歌については 613番の歌のページを参照。また、 「〜にぞありける」という表現を使った歌の一覧は 204番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/26 )   
(改 2004/01/24 )   
 
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