さくらの花の散り侍りけるを見てよみける | 素性法師 | |||
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花を散らす風が泊まっているところを誰か知っているだろうか、私に教えて欲しい、行って恨み言を言おう、という歌である。 "風の宿り" という言葉が面白い。 311番の貫之の「みなとや秋の とまりなるらむ」という歌や、1046番の読人知らずの「 去年の宿りの ふるすとや」と並べて見たい。 この歌について、賀茂真淵「古今和歌集打聴」では 「歌はをさなくよめり」(歌は幼く詠めり)とある。 「打聴」での 「をさなくよむ」というニュアンスは、拙くてダメ、ということではなく、(わざと)子供のような着想で理にとらわれずに詠む、ということで、例えば 49番の貫之の「今年より 春知りそむる 桜花」という歌に対し、「をさなくよみて面しろきうた也」(幼く詠みて面白き歌なり)と言っている。 瑣末なことだが、詞書に「さくらの花の散り侍りける」の 「侍り」は、古今和歌集の他の詞書ではもっぱら人について言っているので、桜の花に付いているのが少し気にかかる。元永本などの伝本ではここが 「散りける」となっていて 「侍り」がないということである。 |
( 2001/12/18 ) (改 2003/10/15 ) |
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