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       これさだのみこの家の歌合せによめる 大江千里  
193   
   月見れば  ちぢにものこそ  かなしけれ  我が身ひとつの  秋にはあらねど
          
     
  • ちぢに ・・・ 様々に(千々に)
  
月を見れば、様々に物悲しく思える、この身だけの秋ではないけれど、という歌。

  この歌は百人一首にも採られていて有名な歌である。 "ちぢ" (=千々)と "ひとつ" (=一つ)の数の対比を含んでいる。自分だけの秋ではないのに、という発想は 186番の「我がために くる秋にしも あらなくに」という読人知らずの歌と同じである。歌としては無難なまとめ方をしているが、少し薄っぺらい感じを受ける。 「ツキ」「チヂ」という二音の言葉の位置の近さも気になる。 「我が身ひとつ」という表現を使った歌の一覧については 747番の歌のページを参照。

  また、この歌同様、今一つ物足りないが口当たりは悪くない千里の歌に次の哀傷歌がある。

 
859   
   もみぢ葉を  風にまかせて  見るよりも  はかなきものは  命なりけり
     
        「もみぢ葉」の歌がオー・ヘンリー(O.Henry 1862-1910)の 「最後の一葉」("The Last Leaf")を思わせるのも、「月見れば」の歌が月を鏡と見てそれが "ちぢに" ひび割れるイメージからアルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson 1809-1892)の 「シャロット姫」("The Lady Of Shalott")の詩の一節(The mirror crack'd from side to side; 鏡は横にひび割れて)を思わせるのも、古今和歌集の時代の大江千里には何も関係も無いが、これらの歌に感じる物足りなさは、逆に普遍的な詠い振りであるがための特徴のなさから来ているような気もする。

  「かなし」という言葉を使った歌の一覧については、578番の歌のページを参照。

 
( 2001/08/30 )   
(改 2004/01/30 )   
 
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