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長い詞書は伊勢物語の第四段とほとんど同じである。ここで言われている内容は、
- 五条の后の宮の西の対に住んでいる女性がいた
- 事のなりゆきでその女性と関係ができた
- その女性は一月十日すぎに他の場所に住居を移した
- どこに行ったのかはわかっていたが逢いに行くことはできなかった
- その翌年の春、梅の花の盛りの美しい月夜の晩、前の年を思い出してその西の対に行った
- そして月が傾くまで外の荒れた板の間に横たわっていた
ということである。 「五条の后」とは仁明天皇の后で文徳天皇の母である藤原順子を指す。その西の棟に住んでいた女性は物語的には順子の姪の藤原高子(=二条の后)ということになっているが、もちろん不明であり、この女性を順子本人とする説もある。 「五条の后」「西の対」「一月十日」などの具体的な名詞や、「ほいにはあらで」「あばらなる」などの言葉も物語のための飾りつけであると見てよいだろう。ただ一点、「梅の花さかりに」という部分は、歌に現われていない背景の描写として全体に奥行きを加え、効果的に機能している。
歌の意味は、月は同じではないのか、春は昔の春ではないのか、この自分だけが元のままで、ということ。普通は「月も春も同じだが−我が身は違う」というところを逆に 「我が身は同じ」というところからひねり返したような歌である。恋歌としては 「もとの身」という言葉に未練が詰まっている。
言葉としては 「や−や」「春−春」「身−身」の繰り返しが目につく。前半の二つの 「や」は、「あらむ/ならむ」が意味的に打ち消しであり、打消しの助動詞「ず」の連体形の 「む」を使っていることから、疑問を表す係助詞の 「や」であることがわかる。 「月は昔と同じではないのか? 春はどうなのか?」と、今では 「あばらなる」板敷の上で自問している姿である。ただその答えは先にでていることが 「我が身ひとつは」の 「は」に表れている。 909番の「松も昔の 友ならなくに」という藤原興風の歌を思い出させる。
「我が身ひとつ」という言葉が使われている歌には、次のような読人知らずの歌もある。
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