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自分と同じように悲しいことがあってか、ホトトギスは時間も気にせず、夜ひたすら鳴いているのだろう、という歌。 この歌は恋歌二に置かれているが、秋歌上の 197番には同じ敏行の「秋の夜の 明くるも知らず 鳴く虫は」という歌があり、どちらかを切ってもいいような感じだが、このホトトギスの歌は、次の 579番の貫之の歌との関係でここに置かれているように見える。
また 「我ごと〜」というパターンは他にも、秋歌上の 198番の「秋萩も 色づきぬれば きりぎりす」という読人知らずの 「きりぎりす」バージョン、恋歌一の 536番の読人知らずの「人や恋しき 音のみ鳴くらむ」という 「ゆふつけ鳥」バージョンがある。
さらに、160番の貫之の「五月雨の 空もとどろに 郭公」という歌は、この敏行の歌と同じくホトトギスを詠って "夜ただ鳴くらむ" で結んでいるというように、歌の置かれている位置から見ると混沌としている。これらすべてが撰者たちの完全なコントロール下にあるとは思えず、かといってでたらめでもなく、そこがまた古今和歌集の面白味の一つであるような気がする。
「かなし」には 「愛しい/いとおしい」という意味と 「悲しい/哀しい」という意味の二つの場合があり、この歌の場合は 「悲しい/哀しい」であろうが、どちらともとれる場合は 「胸がつまるような感じ」と考えてよさそうである。 「かなし」という言葉を使った歌には次のようなものがある。数が多いので 「かなしき」とそれ以外に分けてみる。なお、「うれし」については 709番の歌のページを参照。
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