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誰が来て脱ぎ掛けたものなのか、毎年秋になると野辺を匂わすこのフジバカマは、という歌。
"藤ばかま" を「袴」に掛け、そこに香が炊き込められているためによい香りが漂うのだろう、という感じである。 "来て脱ぎかけし" には 「来て−脱ぎ掛ける」と 「着て−脱ぎ掛ける」が掛けられていて、意味的には 「着て」だとそこで 「着て・脱いで・掛けた」という滑稽な感じにもなるので 「来て」の方をメインに見たいが、「来て」だと "来る秋" と重複してしまうということもある。ただ逆に "来る秋ごと" であるということは、毎年誰かが来て掛けているのか、ということを指しているとも言えるので、「来て・脱いで・掛けた」でいいような気がする。 「かく」という言葉を使った歌の一覧については 483番の歌のページを参照。
歌の内容としては 241番の素性法師の歌とほとんど同じであり、古今和歌集の配列でいえば、二つを並べて置く代わりに 240番の貫之の歌を入れることによりヤジロベエのように三つのフジバカマの歌のバランスを取っているようにも見える。
また、花について 「匂ふ」と言う場合、「美しく咲く」という意味を指すことが多いが、この歌の場合は "来て脱ぎかけし 藤ばかま" とあり、その移り香を暗示しているため、嗅覚のことを指していると見てよいだろう。 「匂ふ」という言葉を使った歌の一覧は 15番の歌のページを参照。
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