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歌の意味は、泊まっていた人の形見だろうか、その人がいなくなった後フジバカマが忘れがたいよい香りで匂っている、ということで、よい香りはフジバカマそのものから発しているのではなく、誰かの衣服に炊き込められた香が移ったものという前提の歌である。
さて、この歌には 「フジバカマを詠んで人に贈った」という詞書が付いているため、解釈が少しややこしくなる。はたして詞書の「人」は "宿りせし人" と同一なのか。 "忘られがたき" という言葉からすると同一と見てよさそうである。とすると "宿りせし" とは野辺で野宿をしたということではなく、貫之の家に泊まった、ということになる。貫之の家の庭にフジバカマがあったとすれば話は単純だが、もしそうではなく野辺で摘んだフジバカマを添えてこの歌を送ったとしても(その場合 "形見か" という言葉が少し重いが)、「野宿に等しい我が家ですが、またお越しください」という見立てであると考えられる。そこにフジバカマの香しさを添えているのがこの歌の特徴である。
道具立ては 「形見」と 「衣服」ということで、 745番の藤原興風の「涙に浮ぶ 藻屑なりけり」という歌を思い出させるが、内容は異なった歌である。 「形見」という言葉を使った歌の一覧は 743番の歌のページを、「匂ふ」という言葉を使った歌の一覧は 15番の歌のページを参照。
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