物へまかりける人を待ちてしはすのつごもりによめる | 凡河内躬恒 | |||
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詞書の「物へまかりける」とは 「何かの用事があってどこかへ出かけた」という漠然とした意味でその人が十二月の終りになっても訪れてこないという状況を言っている。 歌の内容は、待ってもいない新年は来るのに、離れて無沙汰をしている人はやってもこない、ということを 「冬草が枯れる−離(か)れる」で表していて、どことなく老人のぼやきのようにも感じる。 「離る(かる)」という言葉を使った歌の一覧は 803番の歌のページを参照。 この歌とほとんど同じ終句を持つものに 327番の忠岑の「み吉野の 山の白雪 踏みわけて」という歌や、次の読人知らずの歌があるが、それらが 「人の−おとづれもせぬ」という形であるのに対し、この躬恒の歌は 「人は−おとづれもせず」となっている。これはその前に "年はきぬれど" と比べるものがあるためだが、他の二つが諦めの感じであるのに対して、この歌には待つ者の苛立ちが感じられる。 「おとづる」という言葉が使われている歌の一覧は 327番の歌のページを参照。 |
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古今和歌集の配列で言うと、一つ前の 337番の歌までは、冬の梅の歌群が続いたため、年が明けてもう春が近い雰囲気のようだったが、この歌から年末の歌群がはじまるので、あの梅は年の内のものだったのか、と振り返って見るのも面白いかもしれない。 |
( 2001/12/07 ) (改 2004/03/05 ) |
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