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飽きたのでどこかへ行って欲しい、と言ったわけでもないのに、何を嫌だと思って遠ざかっていってしまうのでしょう、という歌。 "秋の田のいね" には 「飽きたので往ね(=どこかに行って欲しい)」が、 "かけなくに" の 「かく」には 「稲を架ける−言葉をかける」が、 "かる" には「刈るー離(か)る」が掛けられている。 「〜てふ」という表現を持った歌の一覧は 36番の歌のページを参照。
「かく」という言葉は 487番の読人知らずの歌に「ひと日も君を かけぬ日はなし」とあり、そこでは 「心にかける」ということだが、この歌の場合は 「言をかく」で 「言う」ということとされるのが一般的である。 「かく」という言葉の使われている歌の一覧については 483番の歌のページを参照。
また、この歌での 「なくに」は 「〜でないのに」という逆接である。 「なくに」については 19番の歌のページを参照。
この歌は定家本には作者名の記述がなく、それからすればこの歌の作者は、一つ前の 802番の素性法師ということになるが、「古今和歌集全評釈(中)」 (1998 片桐洋一 講談社 ISBN4-06-205980-0) によれば、定家本以外の殆どの伝本では、作者を兼芸法師としているそうなので、ここではそれに合わせておく。
兼芸法師は生没年不詳であるが、396番の歌の詞書に「仁和のみかどみこにおはしましける時」とあるので、光孝天皇の即位(884年)以前には歌を作っていたことがわかる。
この 「秋の田」の歌は、次の貫之の離別歌に駄洒落を盛り付けたような感じもあるが、その作成時期の前後は不明である。
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