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       さだやすのみこの、きさいの宮の五十の賀たてまつりける御屏風に、さくらの花の散る下に人の花見たるかたかけるをよめる 藤原興風  
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   いたづらに  すぐす月日は  思ほえで  花見てくらす  春ぞ少なき
          
     
  • いたづらに ・・・ 無駄に
  • 思ほえで ・・・ 何んとも思わず (思ほゆ)
  詞書にある 「さだやすのみこ」(貞保親王)は清和天皇の皇子で陽成天皇の同母弟。 「きさいの宮」が誰を指すのか不明であるが、その母の二条の后だとするとその五十の賀は 891年。ちなみに二条の后が后位を止められたのは 896年である。詞書の意味は、その時の屏風絵に桜の下で人(人々)が花見をしている様があったのを詠んだ歌、ということ。

  歌の内容は、
ただ無駄に過ぎてゆく月日は何とも思わないのに、花を見て暮す春は少ないものだと感じる、ということで、賀歌という感じはほとんどせず、逆に「いたずらに年老いて、もう寿命が少ないと言うことか」と文句が出そうな歌である。こうした歌が賀の際の屏風絵に付けることを許されていたということは、気が利いた歌なら何でもOKという、呪としての言葉とは無縁の大らかさがあったことを示しているように見える。

  「すぐす」という言葉を使った歌の一覧は 612番の歌のページを、「思ほゆ」という言葉を使った歌の一覧は 33番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/28 )   
(改 2004/03/07 )   
 
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