さだやすのみこの、きさいの宮の五十の賀たてまつりける御屏風に、さくらの花の散る下に人の花見たるかたかけるをよめる | 藤原興風 | |||
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歌の内容は、ただ無駄に過ぎてゆく月日は何とも思わないのに、花を見て暮す春は少ないものだと感じる、ということで、賀歌という感じはほとんどせず、逆に「いたずらに年老いて、もう寿命が少ないと言うことか」と文句が出そうな歌である。こうした歌が賀の際の屏風絵に付けることを許されていたということは、気が利いた歌なら何でもOKという、呪としての言葉とは無縁の大らかさがあったことを示しているように見える。 「すぐす」という言葉を使った歌の一覧は 612番の歌のページを、「思ほゆ」という言葉を使った歌の一覧は 33番の歌のページを参照。 |
( 2001/11/28 ) (改 2004/03/07 ) |
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