大江のちふるが越へまかりけるむまのはなむけによめる | 藤原兼輔 | |||
391 |
|
藤原兼輔は 877年生まれ、933年没。没年五十七歳。 902年従五位下、906年従五位上、915年正五位下、917年従四位下、921年参議、922年従四位上、927年従三位中納言。堤中納言と呼ばれた。紫式部の曾祖父。古今和歌集にはこの歌も含めて四首が採られている。 あなたが行く越の国、白山の様子は知りませんが、雪のままに跡を尋ねてゆきましょう、という歌。 「白山−知らねど」と続けて「雪−行き」を掛けている。 "雪のまにまに あとはたづねむ" とは、雪に残ったあなたの足跡を訪ねて、という意味だろう。 同じ 「越の白山−知らねど」を使ったものに 980番の貫之の「思ひやる 越の白山 知らねども」という歌があり、「白山・ゆく−雪」という組み合わせでは次の躬恒の歌がある。 |
383 |
|
|||||||
「越/白山/雪」という題材は一度見てしまうともう新鮮味がないが、貫之、躬恒の歌と並べてもこの兼輔の歌は姿で劣っておらず、むしろ一番安定した形のように思える。 「白山」を詠った歌の一覧は 383番の歌のページを参照。 また、「まにまに」という言葉が使われている歌には、129番の深養父の歌などがあり、特に 「水のまにまに とめくれば」という深養父の歌は、どこかこの兼輔の歌に通じるものが感じられる。 |
( 2001/09/17 ) (改 2004/02/09 ) |
前歌 戻る 次歌 |