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- まにまに ・・・ ままに・まかせて
- とめくれば ・・・ 求めて来ると
清原深養父(ふかやぶ)は生没年不詳。930年従五位下。古今和歌集にはこの歌も含めて十七首が採られている。908年生れで後撰和歌集の編纂に携わった清原元輔は深養父の孫(または子)と言われる。清少納言は元輔の娘であるので、深養父は彼女の曾祖父(あるいは祖父)ということになる。
詞書の「やよひのつごもりがた」とは旧暦三月の終り頃ということ。その頃に山を越えたところ川から花が流れてきたので詠んだということである。
花が散って流れる川の流れのままに求めてゆくと、山では花だけでなく春もなくなっていた、という歌。詞書と歌の内容のギャップが少し気になる。詞書によれば深養父は山を越えてそこで川に花が流れるのを見ただけで、水の流れに従って山に花を求めて行ったわけではない。単に詞書の書き方の問題、あるいは歌なのだからどうでもいいと言えばそれまでだが、わざわざ露呈されると興ざめすることもある。118番の貫之の歌より具体性があるためそう思えるのかもしれない。
この歌の "水のまにまに" に対して、「山のまにまに」という言葉を使っているものに次の読人知らずの歌がある。
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