たぢまの国の湯へまかりける時に、ふたみのうらといふ所にとまりて、夕さりのかれいひたうべけるに、ともにありける人々のうたよみけるついでによめる | 藤原兼輔 | |||
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「但馬の国の湯」は、現在の兵庫県城崎(きのさき)郡城崎町の城崎温泉であろうとされている。 「二見の浦」は兵庫県明石市二見町あたりと見る説と、城崎温泉の近く円山川のあたりと見る説の二つがある。城崎温泉は日本海側、明石の二見は瀬戸内海側と距離が離れているために説が分かれているものと思われる。 これについて賀茂真淵「古今和歌集打聴」の上田秋成の細書(=注)では「今但馬の国にも二見とよべる所ありそれは即城の崎の湯あるほとり也兼輔のこゝにてよまれしとかの里人はいへど所のさまを見るにしかるべからず此歌によりて付会したるものぞ」とし、明石の方を採っている。「所のさまを見るにしかるべからず」というのが江戸時代のその場所を見てのことだとすると根拠としては弱いが、歌に詠むほどの絶景ではない、というのが秋成の所感なのだろう。 387番の白女(しろめ)の歌の 「源の実がつくしへ湯あみむとてまかりける時に、山崎にて別れ惜しみける所にてよめる」という詞書を見ると、その場合も 「筑紫の湯」と 「山崎」は別の場所であるので、城崎温泉と 「二見の浦」が離れていても問題はないような気がする。 歌の内容は、夕方の月の下では、あたりが暗くてはっきりしないので、二見の浦の景色は、玉くしげの蓋の裏のように、明けて(開けて)から見よう、ということ。 「二見の浦」から 「蓋−見−裏」とし、その蓋から 「玉くしげ」、さらにそこから 「開ける−夜が明ける」と続け、それを暗くて乾飯が食べづらいな、ということに合わせた技巧を凝らした歌である。詞書の 「かれいひ」という言葉からは、伊勢物語第九段の「みなひと、かれいひのうへになみだおとしてほとびにけり」が連想され、そこから 410番の業平のかきつばたの歌にもつながるようにも見える。 また、「玉くしげ」という言葉を使った他の歌としては、恋歌三に次の読人知らずの歌があり、そこでも 「開け−明け」が掛けられて使われている。 |
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( 2001/10/09 ) (改 2008/02/18 ) |
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