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詞書にある 「ながつきのつごもりの日」とは、陰暦九月の最後の日。十二ヶ月を単純に四で割って三ヶ月ごと春夏秋冬にあてはめると、九月は秋の最後の月となる。この歌も秋歌下の最後から二番目の位置にあって、秋の終わりを詠んでいる歌である。ただし、つごもり(=月ごもり)の日には夕方に月が見えないはずなので、 "夕月夜" は "小倉" を導く序詞(あるいは枕詞)と解釈されている。 「大井」は現在の京都府京都市右京区の嵐山付近。 「小倉山」はその近くの現在の小倉山や嵐山一帯の山地を指すといわれる。
小倉山の夕べ、そこで鳴く鹿の声の中で秋は暮れてゆくのだろうか、という歌。例えばこの歌の頭三句を同じ貫之の 439番の「をぐら山 峰たちならし 鳴く鹿の」と差し替えて 「声の内にや 秋は暮るらむ」とつなげても歌として成り立つが、それと比較した場合、やはり "夕月夜" という先頭のおさえが「秋の最後の日の夕暮れ−秋という季節の暮れ」というイメージを確かなものにしていることがわかる。 「鹿」を詠った歌の一覧については 214番の歌のページを参照。
古今和歌集の中で他に 「夕月夜」が出てくる歌としては、藤原兼輔の 「玉くしげ」の歌と、読人知らずの 「さすやをかべ」の歌の二つがある。
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