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       ながつきのつごもりの日、大井にてよめる 紀貫之  
312   
   夕月夜  小倉の山に  鳴く鹿の  声の内にや  秋は暮るらむ
          
        詞書にある 「ながつきのつごもりの日」とは、陰暦九月の最後の日。十二ヶ月を単純に四で割って三ヶ月ごと春夏秋冬にあてはめると、九月は秋の最後の月となる。この歌も秋歌下の最後から二番目の位置にあって、秋の終わりを詠んでいる歌である。ただし、つごもり(=月ごもり)の日には夕方に月が見えないはずなので、 "夕月夜" は "小倉" を導く序詞(あるいは枕詞)と解釈されている。 「大井」は現在の京都府京都市右京区の嵐山付近。 「小倉山」はその近くの現在の小倉山や嵐山一帯の山地を指すといわれる。

  
小倉山の夕べ、そこで鳴く鹿の声の中で秋は暮れてゆくのだろうか、という歌。例えばこの歌の頭三句を同じ貫之の 439番の「をぐら山 峰たちならし 鳴く鹿の」と差し替えて 「声の内にや 秋は暮るらむ」とつなげても歌として成り立つが、それと比較した場合、やはり "夕月夜" という先頭のおさえが「秋の最後の日の夕暮れ−秋という季節の暮れ」というイメージを確かなものにしていることがわかる。 「鹿」を詠った歌の一覧については 214番の歌のページを参照。

  古今和歌集の中で他に 「夕月夜」が出てくる歌としては、藤原兼輔の 「玉くしげ」の歌と、読人知らずの 「さすやをかべ」の歌の二つがある。

 
417   
   夕月夜   おぼつかなきを  玉くしげ  ふたみのうらは  あけてこそ見め
     
490   
   夕月夜   さすやをかべの  松の葉の  いつともわかぬ  恋もするかな
     
        また、この歌の次には秋歌下の最後として、次の躬恒の歌が置かれている。

 
313   
   道知らば  たづねもゆかむ  もみぢ葉を  ぬさとたむけて  秋はいにけり  
     
        鹿の声を耳で聞く貫之の "秋は暮るらむ" は、紅葉を目で見る躬恒の 「秋はいにけり」と対になって、二つで秋の歌の部を締めくくっているような感じである。

  ちなみに、この貫之の歌の「秋はくるらむ」は、現代では、ざっと聞くと 「暮る」ではなく 「来る」に聞こえてしまう。これに関して
「古今和歌集の解釈と文法」 (1984 金田一京助・橘誠 明治書院 ISBN:4-6254-7014-5) では、「来る」ならば 「くるらむ」ではなく 「くらむ」でなければいけないと解説されている。

 
( 2001/07/11 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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