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       題しらず 在原元方  
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   たよりにも  あらぬ思ひの  あやしきは  心を人に  つくるなりけり
          
        "つくる" は下二段活用の「付く」の連体形で 「(心を)寄せる」ということ。また 「(文を)託す」という意味もあるので、それを掛けて、不思議なことに、心は手紙でもないのにあの人に思いを 「つけて」しまったよ、と言ったもの。 「たより」は 472番の藤原勝臣の「風ぞたよりの しるべなりける」のように 「頼り」(=頼みにできるもの)としても使われるが、この歌ではその意味はない。

  詞書に 「消息」ということを言っている 589番の貫之の「風吹くごとに 物思ひぞつく」という歌も 
「ならぬ」「つく」という言葉を使っていて、どこかこの歌と通じるものを感じる。

  またこの歌が "心を人に" と言っているのに対し、同じ元方の 474番の歌が 「人に心を」と言っているのも並べてみると面白い。

  ちなみに、この歌は 「後撰和歌集」の巻十687に「はつかに人を見てつかはしける」という詞書で、作者は貫之として載せられている。
「古今和歌集全評釈(中)」 (1998 片桐洋一  講談社 ISBN4-06-205980-0)でも触れられている通り、これは何らかの根拠があって 「古今和歌集」での記述の間違いを直すために 「後撰和歌集」に再録されたものであろう。特に貫之は 「古今和歌集」の撰者の一人であるので、普通で考えれば自分の歌を間違えるとは思えないが、それを貫之の息子の紀時文が撰者の一人になっている「後撰和歌集」で変えているのが興味深い。ただ、今となってはその根拠がわからず、「古今和歌集」は作者を元方としたまま伝えられているので、どちらが正しいのかは謎のままである。

 
( 2001/10/01 )   
(改 2004/03/14 )   
 
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