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- 明けぬとて ・・・ 夜が明けたということで
- いまはの心 ・・・ これで別れという気持ち
- からに ・・・ 〜するとたちまち
- など ・・・ なぜ
藤原国経(くにつね)は藤原長良の長男で、藤原良房の養子になった藤原基経と、二条の后(藤原高子)の兄。 827年生れ、908年没。没年八十二歳。859年従五位下、867年従五位上、875年正五位下、877年従四位下、879年従四位上、882年正四位下、894年従三位、903年正三位。古今和歌集にはこの一首のみが採られている。
歌の意味は、夜が明けたので今や別れの時だと思うと、たちまち言いようもない思いがそこに加わってくるのはなぜだろう、ということ。
"いまはの心" の 「いまは」は 182番の源宗于(むねゆき)の「今はとて 別るる時は 天の河」という歌などにある 「今は」と同じニュアンスであろう。 「心づく」は思いつく、気がつくということで、心を寄せるという時にも使われる。古今和歌集の中では次の在原元方の歌や読人知らずの歌にもあり、「物思ひぞつく」という貫之の歌も、その言葉の元が 「思ひつく」(=心ひかれる)であると見れば、「心づく」と通じるものがあるように思える。
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