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       題しらず 藤原国経  
638   
   明けぬとて  いまはの心  つくからに  など言ひ知らぬ  思ひそふらむ
          
     
  • 明けぬとて ・・・ 夜が明けたということで
  • いまはの心 ・・・ これで別れという気持ち
  • からに ・・・ 〜するとたちまち
  • など ・・・ なぜ
  藤原国経(くにつね)は藤原長良の長男で、藤原良房の養子になった藤原基経と、二条の后(藤原高子)の兄。 827年生れ、908年没。没年八十二歳。859年従五位下、867年従五位上、875年正五位下、877年従四位下、879年従四位上、882年正四位下、894年従三位、903年正三位。古今和歌集にはこの一首のみが採られている。

  歌の意味は、
夜が明けたので今や別れの時だと思うと、たちまち言いようもない思いがそこに加わってくるのはなぜだろう、ということ。

  "いまはの心" の 「いまは」は 182番の源宗于(むねゆき)の「今はとて 別るる時は 天の河」という歌などにある 「今は」と同じニュアンスであろう。 「心づく」は思いつく、気がつくということで、心を寄せるという時にも使われる。古今和歌集の中では次の在原元方の歌や読人知らずの歌にもあり、「物思ひぞつく」という貫之の歌も、その言葉の元が 「思ひつく」(=心ひかれる)であると見れば、「心づく」と通じるものがあるように思える。

 
480   
   たよりにも  あらぬ思ひの  あやしきは  心を人に    つくるなりけり  
     
718   
   忘れなむと  思ふ心の    つくからに   ありしよりけに  まづぞ恋しき
     
589   
   露ならぬ  心を花に  置きそめて  風吹くごとに  物思ひぞつく  
     
        "など言ひ知らぬ" の「など」という言葉を使った歌の一覧は 155番のページを参照。 「言ひ知らぬ」という言葉は、次の読人知らずの誹諧歌にも 「あな言ひ知らず」として出てくる。

 
1060   
   そゑにとて  とすればかかり  かくすれば  あな言ひ知らず   あふさきるさに
     
        "思ひそふ" は 「思いが加わる」という感じで、「そふ(添ふ)」はその前の 「付く」と関係していて、別れだと思う(=心付く)と忽ち 「言ひ知らぬ思ひ」が(=思ひ添ふ)が、それは何故だろう(=「など」)と言っているわけである。 「思ひそふ」という言葉は古今和歌集の他の歌では使われていないが、やわらかい響きの言葉である。 「からに」という言葉を使った歌の一覧は 249番の歌のページを参照。また、「〜の心」という言葉を使った歌の一覧については、651番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/23 )   
(改 2004/03/08 )   
 
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