題しらず | 藤原勝臣 | |||
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次の勝臣の歌は、雑歌下に置かれていて、一つ前の大江千里の歌の詞書を引き継いでいる。その詞書には 「寛平の御時、うたたてまつりけるついでにたてまつりける」とあるので、少なくとも宇多天皇の寛平年間が始まる889年までは在命であったことになる。 |
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また、その詞書を持つ千里の歌は次のようなもので、これは 894年に千里が 「句題和歌」を宇多天皇に献上した時の歌か、と言われている。これを前提に考えてみると、仮に貞観の最後の年(876年)に勝臣が三十歳とすると、894年には四十八歳。よって上記二つの歌が同時期に献上されたという可能性はありそうである。 |
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さて歌の方は、白浪の跡が残らない方向に行く舟も、風を頼みの行き先案内とする、という意味で、「白浪のあとなき方に行く舟」とは、相手に逢う伝(つて)がない自分を舟に譬えたもので、一定の手順を踏んでゆけば辿り着くことができるようなものではない、ということを言っている。その自分でもただ 「風」を頼りにして慕ってゆきますいうこと。 「方」という言葉を使った歌の一覧は 201番の歌のページを参照。 "たより" には、大きく分けて 「頼り」(=頼みにできるもの)と 「便り」(=使者/手紙)の二つの意味があり、この歌の 「たよりのしるべ」が両方を掛けているとすると、「頼みにする案内」と 「こうして文をつける案内」の二つの意味になると考えられる。 問題は 「風」が何を指しているかということで、ざっと考えると 「風の噂」からの連想で 「噂」のようにも見えるが、「吹く風の音」が噂という例は 762番の歌などに見えるが、それは 「音」がメインであって 「風」そのものを 「噂」としている例は古今和歌集の中にはないようである。また、 13番の友則の歌に「風のたよりに たぐへてぞ」という 「風のたより」という言葉が出てくるが、これは文字通り風を使者あるいは手紙に譬えたもので、この勝臣の歌の 「風ぞ・たよりの・しるべ」というものには直接は当てはまらないと思われる。 結局、「風」は 「目には見えないけれど、ある方向に自分を押しやるもの」つまり 「恋心」とでもしておくしかなく、その意味での 「風」の例を古今和歌集の中で探すと、 627番の「風に先立つ 浪なれや」という歌で、「浪」を 「人の噂」に譬えて 「自分の恋心が起こる前に人の噂が立った」という感じのものがある。そう考えると、この歌は 477番の「思ひのみこそ しるべなりけれ」という歌につながってゆくような気もする。 「しるべ」という言葉を使った歌の一覧は 13番の歌のページを参照。 また、それほど無理に考えずに、歌全体を「舟は風という頼りがあるけれども自分にはそれすらない」という意味にとればいいのではないかという解釈もある(本居宣長「古今和歌集遠鏡」 「ソレニワシガ恋ハソンナ風ノヤウナ タヨリニセウ物サヘナイワイノ」)。そう言われると "行く舟も" の 「も」がそんな感じにも見えるが、ここでは 「風ぞ」の 「ぞ」を強く見てその説はとらない。 |
( 2001/10/09 ) (改 2004/03/14 ) |
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