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       題しらず 読人知らず  
507   
   思ふとも  恋ふともあはむ  ものなれや  ゆふてもたゆく  とくる下紐
          
     
  • ゆふてもたゆく ・・・ 結ぶ手もだるくなるほど
  
どれほど心にかけて恋焦がれても、あの人とは逢えるさだめとは思えないが、結び直す手もだるくなるほどに何度も解けるこの下紐よ、という歌。"下紐" は下袴や下裳の紐のことで、着衣の表から見えない紐。下紐が自然に解けるのは恋しい人に逢える兆しという俗信をベースにした歌である。同じ「思ふとも」ではじまる歌に 799番の素性法師の「思ふとも かれなむ人を いかがせむ」という歌がある。

  「あはむものなれや」という部分は反語で、「逢えるものなのか、いやそんなことはない」ということ。歌の後半は、少しわかりづらく、何故か下紐が何度も解けるので手がだるくなるほど、というより、 "思ふとも  恋ふともあはむ  ものなれや" という気持ちでボーッとして結ぶのですぐに下紐が解けてしまい、それをまたボーッとして結ぶのですぐゆるくなり、ということの繰り返しで手がだるくなるほど、という感じに見たい。続く 508番の歌もある意味「呆」の状態の恋の歌である。

  「下紐」が解ける歌としては、808番の「思ひ知らずも とくる紐かな」という歌もあるが、次の「とけ渡る下紐」の全開という感じの歌がインパクトがある。

 
730   
   めづらしき  人を見むとや  しかもせぬ  我が下紐の   とけ渡るらむ
     
        「〜なれや」という言葉を使った歌の一覧は 225番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/03 )   
(改 2004/01/14 )   
 
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