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       題しらず 因幡  
808   
   あひ見ぬも  憂きも我が身の  唐衣  思ひ知らずも  とくる紐かな
          
     
  • 思ひ知らずも ・・・ しっかりと理解せずに
  因幡(いなば)は生没年および仔細不詳。基世王(もとよのおおほきみ)の娘とされる。古今和歌集にはこの一首のみが採られている。

  
逢えないのも、辛い気持ちでいるのも、みんなわが身からしたことなのに、それも知らずに勝手に解ける紐であることか、という歌。紐が解けると逢えるという俗信をベースにして、自分は逢えないことを知っているのに、衣はそんなことも知らず逢えるというサインを送っている、という感じか。
 
 "我が身の 唐衣" という部分が少し強引な気もするが、一つ前の 807番にも 「我からと」という言葉が使われている藤原直子の歌が置かれているので、この歌も 「我が身から」ということを掛けていると見るのが一般的である。 「唐衣−着なれる」ということから、そんなことに慣れてしまった私だが...というニュアンスのようでもある。 「唐衣」を使った歌の一覧は 572番の歌のページを参照。

  また、"あひ見ぬも  憂きも" という言い方は、意味は異なるが、805番の「あはれとも 憂しとも物を 思ふ時」という読人知らずの歌を思い出させる。 「あひ見る」ということを詠った歌の一覧については 97番の歌のページを、 「思ひ知る」については 185番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/05 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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