題しらず | 紀友則 | |||
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水の泡のように消え入るように物憂いこの身でありながら、泣きながらも、ずっと、あなただけがたのみと思われることです、という歌。 「たのまるる」は 「たのま+るる」で四段活用の 「頼む」の未然形+自発の助動詞「る」の連体形である。 「たのむ」という言葉を使った歌の一覧については 613番の歌のページを参照。 "消えて" を「消えで」とする解釈が一般的である。それは後ろの "うき身" の 「うき」が 「憂き−浮き」と掛かるとすると、「消えて」ではおかしく、さらに消えた泡が "流れてなほも" と言うのも不自然だからという考えによるものであろう。同じ恋歌五には友則の次の歌があり、この歌で消えずに流れていた泡が、やっぱり消えてしまったよ、と続くようにも見える。 |
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また、近くには 「憂き身も消えず長らえる」という意味の次の読人知らずの歌もあり、雑歌上には 「泡が消えない」という意味の読人知らずの歌もある。 |
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それでもここでは 「水の泡」からのつながりの強さと、「消えで」と濁ると歌として調べが汚れるような気がするので、「消えて」ととっておく。なお、両方の説に関する考察が「古今和歌集全評釈 補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) にあり、そこでは結論として 「消えで」と否定形のかたちをよしとしている。 |
( 2001/09/10 ) (改 2004/01/21 ) |
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