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       題しらず 紀貫之  
573   
   世とともに  流れてぞ行く  涙川  冬もこほらぬ  みなわなりけり
          
     
  • みなわ ・・・ 水の泡(水泡・水沫)
  
この世の時の流れと共にずっと流れ続ける涙川、それは冬でも凍らない水の泡なのだな、という歌。 "世" という言葉には 「思うようにならない辛い浮世」というニュアンスが感じられる。意味的には自分が生きている間ということであろうが、その期間を区切って言っているわけではない。例によって 「流る」には 「泣かる」が掛けられている。

  "みなわ" という言葉について、本居宣長は「古今和歌集遠鏡」でこの部分を「
冬デモ氷ラヌ水ヂヤワイ」とし、「みなわ」を水の歌語のように扱っている。また、そこに付けられた横井千秋の注では「歌にみなわとあるを。水の沫とは訳せずして。たゞ水とのみ訳せられたり。これをもて。すべて歌の訳法を思ふべし。又この歌。みなわとよめるは。水とのみにては。詞たらざる故なることをもさとるべし。」と言っており、文字数合わせのためでもあろうか、と推測している。

  確かにこの歌の場合、 "みなわ" は単に 「涙川の水」を指していると解しても意味は通るが、次のような友則の歌もあるので、あえて 「泡・沫」というイメージを排除する必要もないかと思われる。

 
792   
   水の泡の   消えてうき身と  言ひながら  流れてなほも  たのまるるかな
     
        「凍結する」つまり 「止まる」ということはなしに流れる涙と、まだ 「世」にありながらも恋の悲しみで消えてしまいそうな我が身を水の泡にだぶらせていると見ておきたい。

  同じ恋歌二には、凍った水面(みなも)の下を流れる川をイメージして詠った次のような宗岳大頼(むねをかのおおより)の歌もある。

 
591   
   冬川の   上は こほれる   我なれや  下に 流れて   恋ひ渡るらむ
     
        「涙川」を詠った歌の一覧は 466番の歌のページを参照。

 
( 2001/08/15 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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