題しらず | 読人知らず | |||
828 |
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この歌は恋歌五の最後、つまり三百六十首ある恋歌の最後の歌である。この歌を単独で見ると恋歌の感じがしない。歌の意味は、流れゆくと妹山の背山の間に落ちる吉野の川のような、ああこんな世の中である、ということ。 "妹背の山" とは、現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町にある妹山と背ノ山のことで、そこに流れる川は、吉野川からつながっているが現在は紀ノ川と呼ばれている。 「妹:背=女:男」で夫婦や親しい男女を表わしている。 "よしや" は、投げやりな気持ちを表わす感動詞。 また、「吉野川/よしや」という言葉の合わせは次の躬恒の歌によって先に提示されているが、そこでは 「よしや」は 「たとえ〜でも」という副詞として使われているのでやや意味が異なる。 |
794 |
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古今和歌集の配列で言えば、この歌の 「流れて」は、言葉としては一つ前の 827番の友則の歌の「流れてとだに たのまれぬ身は」から引き継がれ、「永らえて」ということに掛かっており、また "落つる" とあることから 「泣かれて」にも掛かっている。 「良し」という名の 「吉野の滝」(奈良県吉野郡吉野町)からずっと流れてきて、最後には妹山・背山を割って流れる涙のように見えるこの川は、同じ 「よし」でも、二人の仲もこの世の中も 「よしや」と歎くためだったのか、という感じか。 |
( 2001/11/14 ) (改 2003/12/21 ) |
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