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また、篁は 「小野」の 「野」の字をとって野相公、野宰相とも呼ばれ、真名序では在原行平(818-893)と共に歌の心のある人として扱われている。
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昔、平城の天子、侍臣(じしん)に詔(みことのり)して万葉集を撰ば令(し)む。自爾来(それよりこのかた)、時は十代を歴(へ)、数は百年を過ぐ。其の後、和歌は弃(す)てて採被(とられ)ず。風流、野宰相の如く、軽情、在納言の如しと雖(いへど)も、而(しかう)して皆、他の才を以(も)ちて聞え、斯(こ)の道を以(も)ちて顕(あらは)れず。
(昔、平城の天子は侍臣に命じて万葉集を撰ばさせた。それから天皇十代、年にして百年が過ぎた。その間、和歌は棄てられて表立って取り上げられることはなかった。風流なことでは野宰相(小野篁)のごとく、軽情なことでは在納言(在原行平)のごとき人は存在したものの、皆ほかの才能で名が知られる人たちであり、和歌に特化して有名というわけではなかった。) |
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この部分は古今和歌集がいかに万葉集以後打ち棄てられていた和歌を復興させたかという文脈で書かれているので、篁と行平が付け合せられていのは、篁が隠岐へ流され、行平が須磨に引きこもったというイメージを和歌が不振な時代を表わすことに利用しているとも考えられるが、行平はともかく篁の 「他の才」とは主に漢詩文を指す。遣唐使を批判した 「西道謠(さいどうよう)」、隠岐へ流される途中での 「謫行吟(たつこうぎん)」は名前だけが残り今では失われているが、現在目にしやすいものとしては和漢朗詠集に篁の詩の十一の断片を見ることができる。
さて、この歌の "わたり川" とはここではいわゆる三途の川を指し、涙が雨と降って増水すれば渡れずにこの世に戻ってくるのではないかという意味で、今にも目を開けそうな遺体を前にして詠っているかのような臨場感がある。あまりの悲しさで涙が出ない自分を叱咤しているようにも見える。 「がに」という言葉を使った歌の一覧は 1076番の歌のページを参照。
川と 「まさる」を合わせた歌には、次の恋歌五の読人知らずの歌がある。
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