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       五節のあしたにかむざしの玉の落ちたりけるを見て、たがならむととぶらひてよめる 河原左大臣  
873   
   主や誰  問へど白玉  言はなくに  さらばなべてや  あはれと思はむ
          
     
  • なべて ・・・ すべて (並べて)
  • あはれ ・・・ いとおしい
  河原左大臣(かわらのひだりのおおいまうちぎみ)とは、源融(とほる)のこと。822年生れ、嵯峨天皇の皇子。 838年正四位下、850年従三位、859年正三位、872年左大臣、873年従二位、877年正二位、887年従一位、895年没。没年七十四歳。

  詞書は「五節の舞の翌日、かんざしの玉が落ちていたのを見て誰のものだろうと捜して詠んだ」歌ということ。「五節(ごせち)の舞」については 872番の歌のページを参照。

  
誰のものかと聞いてもかんざしの玉は言わないので、それなら全員をいとおしく思おう、という歌。
"言はなくに"の 「なくに」はここでは順接(=言わないので)である。 「〜なくに」という言葉を使った歌の一覧は 19番の歌のページを参照。また、「なべて」という言葉を使った歌の一覧は 334番の歌のページを、「あはれ」という言葉を使った歌の一覧は 939番の歌のページを参照。

  "白玉"の 「しら」と 「知らない」の 「しら」が掛けられている。どことなくイヤラシイ感じのする歌だが、微妙なバランスで立っているヤジロベエのようでもある。使われている言葉からは 1012番の素性法師の「問へど答へず くちなしにして」という歌が思い出される。河原左大臣(=源融)の歌は古今和歌集にはあと一つ、恋歌四に次の歌がある。

 
724   
   陸奥の  しのぶもぢずり  誰ゆゑに  乱れむと思ふ  我ならなくに
     

( 2001/11/23 )   
(改 2004/02/25 )   
 
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