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       五節の舞姫を見てよめる 良岑宗貞  
872   
   天つ風  雲のかよひぢ  吹きとぢよ  乙女の姿  しばしとどめむ
          
        空を吹く風よ、雲の通い路を吹き閉じよ、乙女たちの姿を今しばらく留めよう、という歌。良岑宗貞は 850年に仁明天皇の崩御をうけて三十五歳で出家する前の僧正遍照の名。出家時には従五位上、蔵人頭であった。詞書にある「五節の舞」とは、次のようなもの。

 
     
 五節  ごせち  十一月の中の丑の日から新嘗会・大嘗会の前後四日間
 行なわれる舞楽の行事。
 新嘗会  にひなめゑ  天皇が宮中で新穀を奉ずる儀式。
 卯の日(五節の三日目)に行なわれる。
 大嘗祭  だいじゃうゑ  天皇の即位後はじめての新嘗会を指す。
 豊明節会  とよのあかりのせちゑ  天皇が新穀を食し群臣に賜る儀式。
 辰の日(五節の四日目)に行なわれる。
 五節の舞  ごせちのまひ  豊明節会で行なわれる舞。新嘗会では四人、大嘗祭では
 五人の娘が舞う。


 
        五節の舞には、天武天皇が吉野で琴を弾いていると天女が下ってきて舞を舞ったという伝承があり、この歌はその話をベースにしている。この歌は百人一首にもあって広く親しまれている。他に古今和歌集の中で良岑宗貞時代の歌として採られているものとしては、91番と 985番の二つの歌がある。この歌に続けて、河原左大臣(=源融)の五節の舞の翌日の次の歌が並べられている。

 
873   
   主や誰  問へど白玉  言はなくに  さらばなべてや  あはれと思はむ
     
        落ちていた玉を見て前日の余韻を思う歌で、宗貞の歌とうまく時間的に同調するように置かれているが、豊明節会の五節の舞は毎年行なわれるので二つが同じ時のものかどうかは不明。ただ、良岑宗貞(僧正遍照 816-890)と源融(822-895)はほぼ同世代の人間である。

  宗貞が出家するきっかけとなった仁明天皇の崩御により、文徳天皇が即位し、その文徳天皇が858年に崩じた後に九歳で即位したのが清和天皇である。その清和天皇の大嘗祭(859年)の時の五節の舞姫には後の二条の后、藤原高子が含まれていたと言われている。

 
( 2001/09/12 )   
(改 2004/03/15 )   
 
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