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- 玉だれ ・・・ 玉すだれのことで、緒に掛かる枕詞
- いづら ・・・ さあ、どこに
- こよろぎの ・・・ 磯にかかる枕詞 (こゆるぎの)
長い詞書が言っていることは、「寛平の時(宇多天皇の時代)、殿上人の控えの間にいた男達が、后のところから大御酒(おおみき)のお下がりをいただこうとしたが、后の回りを世話する女達(女蔵人)は笑って、(使いの者の)瓶を后の御前に出すとして持っていったまま、何の返事もなく、返してくれなかった。仕方なく使いの者が帰ってきて、こういうわけだと話したので、その女達の所におくった」歌ということ。「古今和歌集全評釈(下)」 (1998 片桐洋一 講談社 ISBN4-06-208753 -7) では 「蔵人のなかに」は 「女蔵人の中の一人に」という意味であると述べられている。
ここでの后は、「寛平の御時きさいの宮の歌合せ」の「きさいの宮」と同じとすれば、宇多天皇の母の皇太后・班子女王のことか。
歌の意味は、あの小亀はどこへいったやら、磯の浪を分けて沖に出ていってしまった、ということ。 "こがめ" に 「小亀−小瓶」を掛けて、「御前」に出てしまったことを "沖にいでにけり" と言っている。賀茂真淵「古今和歌集打聴」では 「此小瓶[ヲガメ]は大御酒のおろしをとてそこ達のもとにこそ乞につかはしけれすゞろに奥深く出すべき物にあらぬをと云をかめと云より海のよせもて奥の御前を海の奥[ヲキ]にとりなしてかゝる小がめの海原に出べくもあらぬをと云也...」としている。
詞書の中の 「蔵人ども」が笑った理由は、瓶の形を見て笑ったと見る説もあるが、歌の内容からは、単に意地悪をして瓶を返さなかったという、その時の雰囲気を言っているだけのように見える。
「いづら」という言葉を使った他の歌には 943番の読人知らずの「世の中に いづら我が身の ありてなし」という歌と 1015番の躬恒の「いづらは秋の 長してふ夜は」という歌がある。また、この歌の後半は巻二十に収められた次の 「さがみうた」をふまえていると思われる。
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