田村の御時に、女房のさぶらひにて御屏風のゑ御覧じけるに、滝落ちたりける所おもしろし、これを題にてうたよめ、とさぶらふ人に仰せられければよめる | 三条町 | |||
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三条町(さんじょうのまち)は紀静子で、文徳天皇との間に惟喬親王や恬子内親王をもうけている。「田村の御時」が文徳天皇の在位期間である850〜858年を指すとすれば、この歌が詠まれた時はすでに惟喬親王は生れていたことになる(惟喬親王の生年は844年)。古今和歌集に採られている歌はこの一首のみ。 思いを抑えている私の心の滝なのでしょうか、流れ落ちる様子は感じられるけれど、その音は人の耳にはとどきません、という歌。 題詠ということもあり、歌の内容はかなり説明的だが、"思ひせく" という出だしは印象的である。 「滝の音」ということでは、次の読人知らずの恋歌などが思い出される。それに比べると "音の聞こえぬ" という抜き方には、どこか余韻が感じられる。 |
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また、絵の方はともかくとして、心の内の滝が "音の聞こえぬ" 理由としては、次の読人知らずの歌を見ると、それがずっと奥にあるから、と言っているとも考えられる。 |
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「〜なれや」という言葉を使った歌の一覧については 225番の歌のページを参照。 |
( 2001/10/25 ) (改 2004/02/04 ) |
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