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       これたかのみこの、父の侍りけむ時によめりけむうたどもとこひければ、かきておくりける奥によみてかけりける 紀友則  
854   
   ことならば  言の葉さへも  消えななむ  見れば涙の  滝まさりけり
          
     
  • ことならば ・・・ 同じことならば
  詞書は 「惟喬親王が、父が生前詠んだ歌を見たいとおっしゃったので、書いて贈ったその奥に詠んでつけた」歌ということ。 「父」は友則の父である紀有朋を指す。紀有朋は 880年に没している。

  
命がこの世から無くなるのであれば、言葉さえも消えて欲しいと思います、これを見ると涙の滝の量が増さります、という歌。書き写す際に改めて亡くなった有朋の手(筆跡)を熟視した時の気持ちと見てみたい。 「ことならば」という言葉を使った歌の一覧は 82番の歌のページを、 「言の葉」という言葉を使った歌の一覧は 688番の歌のページを参照。

  「消えななむ」は 「消え+な+なむ」で、「消ゆ」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の未然形+願望の終助詞「なむ」で、「消えて(しまって)ほしい」ということ。 「ななむ」が使われている歌の一覧は392番の歌のページを参照。また、「さへ」を使った歌の一覧は 122番の歌のページを参照。

  紀有朋の歌は古今和歌集に次の二首が採られている。このうち 「桜色」の歌は、この友則の歌からの響き返しで見ると春の歌以上のものが感じられる。

 
66   
   桜色に  衣は深く  染めて着む  花の散りなむ    のちの形見に  
     
1029   
   あひ見まく  星は数なく  ありながら  人に月なみ  惑ひこそすれ
     
        友則と貫之は父方のいとこ同士であり、貫之の父の紀茂行(もちゆき)は有朋の兄弟である。茂行の歌は次の一首が古今和歌集に採られている。

 
850   
   花よりも  人こそあだに  なりにけれ  いづれを先に  恋ひむとか見し
     
        また、惟喬親王の母の紀静子は有朋の遠縁の親戚にあたり、古今和歌集には三条町(さんじょうのまち)の名で次の一首が採られている。この歌は文徳天皇が屏風絵について歌を求めた時のもので、友則がこの歌をおさえて 「ことならば」の歌を惟喬親王に贈ったとは思われないが、古今和歌集上では、どこかつながっているようにも感じられる。

 
930   
   思ひせく  心の内の    滝なれや   落つとは見れど  音の聞こえぬ
     

( 2001/09/06 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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