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       題しらず 読人知らず  
933   
   世の中は  何か常なる  飛鳥川  昨日の淵ぞ  今日は瀬になる
          
     
  • 淵 ・・・ 深い所
  • 瀬 ・・・ 浅い所
  
この世の中は何が常なるものと言えるだろうか、飛鳥川の昨日の淵だった所も今日は瀬になるものだから、という歌。

  341番の春道列樹(はるみちのつらき)の冬歌に「昨日と言ひ 今日とくらして 明日香河」とあるのと同様、「飛鳥川(=明日香河)」の 「あす」を 「明日」に掛けて 「昨日−今日−明日」を含めた歌である。もともとは 「昨日の淵は 明日は瀬となる」と言いたいところを、「飛鳥川」の駄洒落を含めたいがために調整を行なったような感じである。 "何か常なる" と "今日は瀬になる" の 「なる」を重ねて調子を合わせているのも、それを目立たなくさせるための細工のように思える。

  この歌は 990番の伊勢の「飛鳥川 淵にもあらぬ 我が宿も」の歌と共に雑歌下に含まれるが、恋歌四にも 「飛鳥川」を使った読人知らずの歌がある。こちらは 「淵(ふち)−瀬(せ)−世(よ)」と一音の 「瀬」に同じ一音の 「世」を続けてリズムを出している。

 
687   
   飛鳥川   淵は瀬になる  世なりとも  思ひそめてむ  人は忘れじ
     
        一方、恋歌四には淀まない川として、次のような読人知らずの 「飛鳥川」の歌もある。

 
720   
   絶えずゆく    飛鳥の川の   よどみなば  心あるとや  人の思はむ
     
        「淵」と 「瀬」をペアで使っている歌の一覧は 493番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/18 )   
(改 2004/02/05 )   
 
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