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       屏風のゑによみあはせてかきける 坂上是則  
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   かりてほす  山田の稲の  こきたれて  なきこそわたれ  秋の憂ければ
          
     
  • こきたれて ・・・ ぽたぽたと落として(扱き垂る)
  
刈って干す山田の稲のようにポタポタと、泣き続けることです、秋という季節がつらいので、という歌。 "かりてほす" (刈りて干す)の 「かり」には 「雁」が掛けられていて、「鳴く−泣く」につながる。また 「秋」には 「飽き」が掛けられているようである。似たような 「秋憂ければ」と結ばれる 
804番の貫之の「初雁の 鳴きこそ渡れ」という歌が思い出される。

  「こきたれて」という言葉は、639番の藤原敏行の歌でも「明けぬとて かへる道には こきたれて」というように使われている。 「こく(扱く)」という言葉を使った歌の一覧については 56番の歌のページを参照。 また、次の読人知らずの案山子(かかし)を詠った誹諧歌の 「ほし」は 「欲し」であるが、この是則の歌を見ると 「干し」に掛けられているようにも見える。

 
1027   
   あしひきの  山田 のそほづ  おのれさへ  我を ほしてふ   うれはしきこと
     

( 2001/11/06 )   
(改 2004/02/04 )   
 
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