題しらず | 読人知らず | |||
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そう何世代も生きるわけでもあるまいこの身なのに、どうしてこんなに、海人の刈る藻のように思い乱れるのだろう、という歌。 "あらじ" は、「あり」の感じからすると 「何世代も生きてきたわけでもなかろうに」というようにこれまでのことを表しているようにも見えるが、後半の内容からは、「これから先」と未来のことを言っていると思われる。 「じ」は打消しの推量を表す助動詞で、後ろの "我が身" に続く連体形。 529番の 「かがり火に あらぬ我が身の なぞもかく」と比較してみると、そちらの 「あり」は 「〜である」という意味で、この歌の場合は 「存在する」という意味だが、「あらぬ」に対して 「あらじ」という推量の感じがよくわかる。 「あらじ」という言葉を使った歌をまとめてみると次の通り。 |
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海人の刈った藻が散乱していることに掛けて "思ひ乱るる" と言っているのは、485番の読人知らずの「かりこもの 思ひ乱れて」という恋歌や、次の読人知らずの誹諧歌にも似たような表現がある。ただ、この歌の場合、「幾世しもあらじ」と言っていることとのつながりがわかりづらい。 「幾世」という言葉からは 905番や 906番で詠われている 「住の江(住吉)の岸の姫松」が連想されるが、そこの 「海人」の刈る藻というつながりで考えてみたい気もする。 |
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「幾世」という言葉を使った歌の一覧については 905番の歌のページを、「なぞ」という言葉を使った歌の一覧 232番の歌のページを、「思ひ乱る」という言葉を使った歌の一覧は 514番の歌のページを参照。 |
( 2001/11/26 ) (改 2004/03/09 ) |
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